どうも、こんにちは。
徳川家に憧れる宴です。
今回は『【徳川15代クイズ】歴代将軍15人にまつわる歴史問題【全15問】』を出題します。
「徳川15代に興味がある!」という人に、おすすめのクイズとなっておりますので、ぜひ挑戦してみてくださいね!
【徳川15代クイズ】歴代将軍15人にまつわる歴史問題【全15問】
それでは出題させていただきます。
まずは例題をご覧ください。
例題
徳川家は何代まで続いた?
答 : 15代
15人をまとめて「徳川十五代」と呼ぶこともある。
というように、徳川家にまつわるクイズを出題していきます。
問題は全部で15問です。
それではどうぞ!
【徳川15代クイズ】歴代将軍15人にまつわる歴史問題 1~10問
第1問
初代将軍・徳川家康を表す歌「鳴かぬなら ○○○○○○○ ホトトギス」 ○に入る言葉は?
答 : 鳴くまで待とう
家康の忍耐強い性格を表している。
第2問
二代将軍・徳川忠秀が1615年に発布した諸大名の統制のために制定した法令を何という?
答 : 武家諸法度(ぶけしょはっと)
1717年(享保2年)の享保令まで改訂が重ねられた。
第3問
三代将軍・徳川家光を寵愛していた乳母で、「秀忠を次期将軍に」と家康に直訴した人物は誰?
答 : 春日局(かすが の つぼね)
秀忠は体が弱く、吃音があったため、実母の江や一部の家臣は弟・徳川忠長が将軍に適任だと考えられていた。
第4問
4代将軍・徳川家継の時代から始まった、武力による「武断政治」ではなく、法で統治する政治を何という?
答 : 文治政治(ぶんちせいじ)
文治政治は七代将軍まで続いた。
第5問
5代将軍・徳川綱吉が後に悪法と言われる政策を何という?
答 : 生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
人間よりも犬を大事にしたとされ「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれていた。
第6問
6代将軍・徳川家宣の時代から始まった儒学者・新井白石が進めた政治を何という?
答 : 正徳の治(しょうとくのち)
生類憐みの令の廃止、乱れた貨幣制度の立て直し、貿易を制限したり、などなど。
第7問
歴代最年少で将軍職へ就任した7代将軍・徳川家継の時代、政治は2人の側近が主導となって行っていた。その1人は新井白石であるが、もう1人の人物は誰?
答 : 間部詮房(まなべ あきふさ)
家継は間部詮房を父のような存在として慕っていた。
第8問
8代将軍・徳川吉宗が主導した「江戸時代の三大改革」のひとつとされている改革を何という?
答 : 享保の改革(きょうほうのかいかく)
質素倹約や新田開発、悪化した幕府財政の立て直しなどを行った。
第9問
病弱で言語障害があった9代将軍・徳川家重の言葉が聞き取れ、側近として活躍した人物は誰?
答 : 大岡忠光(おおおか ただみつ)
家重が幼い頃から仕えていた忠光は、家重の不明瞭な言葉を唯一理解できたために重宝された。
第10問
10代将軍・徳川家治の使用人として重用された田沼意次が、政治の実権をにぎった時代を何という?
答 : 田沼時代
優れた政策を行っていたが、賄賂の横行などで批判が高まり失脚した。
【徳川15代クイズ】歴代将軍15人にまつわる歴史問題 11~15問
第11問
11代将軍・徳川家斉の時代、罷免された田沼意次の代わりに、老中首座に任命された松平定信が行った改革を何という?
答 : 寛政の改革(かんせいのかいかく)
田沼時代の政策や度重なる飢饉、天災により農民は困窮。財政を立て直すために「享保の改革」を手本に寛政の改革は進められたが、厳しい取り締まりに不満の声が上がり、後に松平定信は罷免された。
第12問
12代将軍・徳川家慶の老中首座・水野忠邦が行った改革を何という?
答 : 天保の改革(てんぽうのかいかく)
逼迫した幕府財政の再興を目的とし、倹約、風俗の取り締まりなどを行ったが支持されず、水野忠邦は2年あまりで失脚した。
第13問
1857年(安政4年)10月21日に13代将軍・徳川家定と江戸城で引見した初代アメリカ駐日領事は誰?
答 : タウンゼント・ハリス
1858年には、日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約「日米修好通商条約」を締結させた。
第14問
14代将軍・徳川家茂の時代に行われた弱体化した江戸幕府を朝廷との連携によって安定させる働き、政策論を何という?
答 : 公武合体(こうぶがったい)
その一環として、孝明天皇の妹である和宮と結婚した。
第15問
江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が行った政権を天皇へ返上したことを何という?
答 : 大政奉還(たいせいほうかん)
こうして、およそ264年間続いた江戸幕府は幕を閉じた。
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お疲れさまでした!
これで『【徳川15代クイズ】歴代将軍15人にまつわる歴史問題【全15問】』は終了となります。
挑戦していただき、ありがとうございました!